竹宮さんちの創作事情

音楽と物語の狭間を彷徨うクリエイターの実験室 

あの何もない駅の豊さ

あの何もない駅の豊かさ


古いJRの駅。 夏の夕暮れに、一台のバイクが滑り込む。

男はTシャツを脱ぐと、水道でジャバジャバと洗い始めた。 上半身裸のまま、ベンチの背に濡れたシャツを引っかけると、彼は濡れた前髪をぐっとかき上げ、深く、そして満足げに息を吐いた。

焼けたマフラーが、キン……と、熱の醒める音を立てる。

(今日はここまでかな……)

遠くで子供の声がする。 夏の青が紫に沈んでゆく。 西風が彼の肌をなでていった。

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なんの意味もない、ただの情景です。
これは、私の心にある風景ですが、きっとあなたにもそんな風景はあると思います。

そんな、個人の体験の中にだけ宿る絶対的な価値。 私はそれを美しいと思う。

にもかかわらず、なぜネットのコミュニティでは、その「個人の価値」を徒党を組んで守ろうとするのでしょう。
彼らが守っているのは体験そのものではなく、属性や記号に付随する「借り物の自己肯定感」に見えてしまう。 他人の同意がなければ維持できない自尊心とは、一体なんなのでしょう。

誰かに見せるためではなく、ただ自分のために波に乗るサーファー。 そのマニューバーを美しいと感じ、ただ眺める人。 その風景を言葉に閉じ込めようと筆を執る詩人。
そこにあるのは純粋な「表現」と、それをただ享受する「観覧」という、健全で幸福な関係だけだ。

ネットの海にどれほどの領海線が引かれようとも、あの夕暮れの駅で聞いた、マフラーが熱で縮む小さな音── あの確かな「個」の響きには敵わない。

世界が向かう場所がどこであれ、私はただ、あの何もない駅の豊かさを信じ、作品を作ってゆきたい。