竹宮さんちの創作事情

音楽と物語の狭間を彷徨うクリエイターの実験室 

記憶にピン留めされたスープ。

今週のお題「スープ」らしい。

 

◆スープという名の「旅」

さて、何から書こうかと思ったけれど、今朝飲んだカップスープの話は、ここではしない。

それは単なる空腹の処理であって、僕の記憶をどこかへ連れて行ってくれるものではないからだ。

◇記憶の中の液体

例えば、秋の北海道で飲んだオニオンスープ。

器の中には、収穫されたばかりの玉ねぎの甘みが飴色に溶けていた。神戸の感覚からすると、そこは限りなく冬に近い秋だった。

ペンションには炭の火鉢が置いてあったが、それが観光的なオブジェとしてではなく、十分に実用レベルで身体が喜んでいる。

その夜、身体にのしかかる冬の重さを感じながら、出された秋色の液体を啜る。温かさと共に、僕の身体の奥へ「旅の実感」が流れ込んでくる。

あるいは、オセアニアの島々。

ボートで島を巡り、良い波を見つけては乗る。珊瑚礁と透明と碧と緑の世界。

色に溢れた日が暮れ、運ばれてきたのは半分に切られたココナッツの器だ。白いテーブルクロスの上、その茶色い殻に、白濁した魚介のスープがなみなみと満たされている。

そこは美しい木造のホテルだが、いわゆるリゾートとは違う。世界中からダイバーやサーファーが集まる、自然の中の小さな隠れ家。

一歩裏へ回ればマッドクラブやオオウナギ、巨大な昆虫が潜むような、文明の端っこだ。

両手で持つと、スープは期待通りの感触を伝えてくる。

窓の外の暗い海に、時折明かりが揺らめく。夜になれば、日本と違って船など一艘も出ていない。

漁師が身体一つで、ライトを手に持ち、暗い海で伊勢エビを追っている。

あの時、僕は間違いなく「その海の命」を啜っていた。

脇役としての汁物ではない。食卓を支配する、圧倒的な主役だった。

◇「主役」としてのわがまま

翻って、日本の味噌汁を思う。

あれを「スープ」と呼びたくないのは、僕のわがままだ。味噌汁や豚汁は、どこまでいっても白米という主に属する「従者」のようであり、それ単体でピンを打つほどの記憶の強度がない。

それは、和食というアンサンブルに不可欠な一員ではあるが、ソリストではない。

僕にとってのスープとは、もっと孤独で、わがままな弾き語りのような食べ物なのだ。

◇最短の旅路

そして僕は、お気に入りのタイ料理店へ行く。注文するのは、いつものトムヤムクンだ。

湯気に顔を近づけ、レモングラスの香りを深く吸い込む。その瞬間、意識は日常をはみ出して、あの青空へと飛ばされる。

スコールが通り過ぎたばかりの、濡れた街や森の匂い。嘘みたいに分厚い雲が去り、視覚を焼き尽くすようなアジアの青。

『はやく、こっちへ来い』

その刺激は、いつだって僕の中の旅心に火を付ける。

この一杯の向こうに、あなたが何を見るかは知らない。何も見えないのなら、ただの辛くて酸っぱい液体として飲み干せばいい。

けれど、もし鼻腔をくすぐる香りのなかに、かつてどこかで見た空の色が混ざったのなら。その時、あなたの旅はもう始まっている。

香りと記憶の境目が曖昧な、不思議な食べ物。

そんな一杯を、僕はスープと呼びたい。