竹宮さんちの創作事情

音楽と物語の狭間を彷徨うクリエイターの実験室 

月を狙った銀玉鉄砲


◇ 翻訳という名の処刑

今朝、僕はいつものように購読しているFeedのチェックから一日を始めた。 枕元で光るスマートフォンの画面。世界中の「今」が僕を置いてけぼりに通り過ぎる。

AIの進化、多国籍企業の不穏な動向、新作映画の批評。 情報の濁流の中で、僕の指がふと止まった。

「天の川を撃ち抜く弾丸」――。 新星発見を報じるその見出しだ。確かに、イメージを喚起するアナロジーとしては「あり」だ。

だけど、その「弾丸」の正体は、太陽の何百倍もの質量を持ち、秒速数百kmで銀河系を貫通する恒星だったりする。 銀河というスケールにおいて、弾丸などという比喩は、ミクロ以下の矮小化でしかない。

僕はそう考えると、朝食と朝シャワーの時間と引き換えに草稿を書くことにした。


◇ 数式の潔白、肉体の沈黙

宇宙の深淵で起きている質量とエネルギーの狂乱を、記者は「弾丸」という言葉に閉じ込めた。 それは理解を助けるための翻訳なのだろうが、僕にはそれが敗北宣言に思えてならない。

小さな杯に酒を満たして「これが海だよ」と言っているような、埋めようのない空虚さ。 ならば、数式で語れば正確なのか。

物理定数と変数の羅列は、宇宙を記述する上で最も最適化された言語だ。 だが、記号の羅列を見て、その解像度や温度を受け取れる人間がどれほどいるんだ?

仮にそんな物を書けたとしても、誰も僕の論文なんかを待ってるわけじゃないし、面白いとも思えない。そもそも、僕自身にそんな神の如く巨大な事象の「体感」がない。 体感のないものを伝えようと悩むこと自体、どこか欺瞞めいた詐欺のような心地がしてくる。


◇ ワイメアの壁、リアルという足枷

僕が知っている「動的な巨大さ」の限界は、波だ。例えば、冬のハワイ。 北太平洋の嵐が生んだウネリが何千kmも旅をし、膨れ上がったエネルギーが一枚の波に凝縮される。

爆音と風を撒き散らしながら迫ってくる「青いダム」。 それを身体で受けた人間にしか、あの暴力の本質はわからない。
何もワイメアなんて大舞台だけじゃない。
バリにもNZにも、日本にだって危険な波はやってくる。
海底に叩きつけられて終わり?冗談じゃない。そこからが恐怖の始まりだ。
まるでダンプカーにロープで繋がれたように、岩や火山地形の穴ぼこの上を引きずり回される。
慌てて浮き上がろうものなら、次の波の何十トン、何百トンって水圧に叩きのめされる。
なんとかセットを逃れ、浮き上がったら、今度はその尋常ならざる波の水量が一気に沖に流れ出て行くのだ。カレントに巻き込まれると、無慈悲な青いブラックホールに引っ張られ外洋に捨てられるか、まるで神の水洗トイレのようなグルグルに吸われ続ける。

死が具体的な質量を持って迫る瞬間を、「ビル数階建ての高さ」という安い言葉で代替できるはずがないのだ。 体験は個人の肉体に閉じ込められ、共有されることを拒絶する。

人間の器は、自分が入れたことのあるものより大きい物は入らないのだと思う。だから、僕は手触りに拘る。

◇ 想像力の残酷な自由

そこで、ある考えが頭をよぎる。 ビッグウエーブで死を予感した人間が、言葉の無力さに唸っているその横で。

小さな波の暴力さえ知らない誰かが、神の力や魔物の暴力を描き、読者はそれを楽しんでいる。 皮肉なことに、体験がゼロだからこそ、彼らの作品はどこまでも自由で、縛りがないのか、それとも圧倒的なリアルから箱庭のお約束に逃げ込んでいるか。

リアルを知る人間には「いや、実際は」という足枷がかかる。 だから、必要以上に過剰な無茶は書けなくなるが、震えたことのある人間が書く言葉には、恐怖の冷たさや体温のような「届く力」が宿ると感じている。

それが消費コンテンツと文芸の違いなのだとも思う。だけど、時折優れたゲームには納得出来る理不尽な暴力がある。
きっと、あれらの作家やクリエイターは何かを知っているに違いない。
なぜなら、そこに手触りがあるから。


◇ 射程数メートルの真実

ここまで僕は、まだ何も書いていない。 宇宙の壮大さも、波の美しさと暴力も、人間の想像力の正体も。

「伝えられないこと」を伝えるために、この文章を綴っている。 宇宙を言葉にするのは劣化だ、と高飛車に断じながら。

そして、気づいてしまった。 銀河を撃ち抜こうと意気込んだ僕のこの言葉こそ、実は最も矮小な存在であることに。

僕が握っているのは、真理に届くビームじゃない。 プラスチックの乾いた音を立てて、数メートル先で力なく落ちる銀玉鉄砲。

その滑稽な実演こそが、僕という表現者の正体なのだ。

だけど、その届かない銀玉鉄砲を撃ちまくるのが物書きだったり、表現者なんだろうね。 本物のワイメアが気になる人は、クリスマスの時期に覗いてみてください。パイプラインなら、もっと近くで見上げられるでしょう。感覚が麻痺して、たいした事ないと感じたら海に入ってください。経験がないなら100%死にますが、僕は責任を持ちませんから。

仮に助かっても、「筆舌に尽くしがたい」は、過去の物書きの怠慢や逃げじゃなかった。そんな旅の記憶が、一生、心と体に刻まれてしまうでしょうけれど。
だから、その真実は伝えきれなくても、僕は貴方をちょっとくらい脅したい。
そう、事実の手触りで怖がらせる物を書きたいんだ。