
◇ 3月の海と、昨日の夜
3月になった。
体感として、春はまだ遠い。
太平洋の水も、相変わらず冷たい。
波の良い日は動くから寒くない。
でも、波の小さい日はじっとしていることが増えて、やっぱり寒い。
そういう日は、友達と飯を食ったり飲んだりしながら、海や音楽や旅の話に時間を使う。
昨日もそういう夜だった。
それは何処でも出来る話だが、ここにしかない体温だった。
僕は話をしに来てるのか、顔が見られれば何でもいいのか。
◇ 「出会えたのが良かった」
その場にいた年配の方に、こんなことを言われた。
「君は、子供の頃にKさんと出会えたのが良かったんだろうね」
Kさんというのはプロサーファーで、僕が物心ついた頃から近くにいた人だ。
言われた瞬間、音楽でも同じだと思った。
大事なのは、プロの指導という部分じゃない。
地元の先輩でも、近所のおっさんでもいい。
要は、摩擦から逃げられないリアルが、僕を育てたり変えてきたんじゃないのか。
そう思ったんだ。
◇ 「当たり前だろう」という声
「そんなの当たり前じゃないか」
「何をやるにしても、レッスン料を払えば先生を雇えるよ」
たしかにそうだ。反論するつもりはない。
でも、出会った関係の恵みと、いつでも止められるレッスンは、やっぱり違う。
逃げられない、と自分が理解して受け入れたことが肝心なんだ。
◇ 海は文句を聞かない
波は、文句を言っても優しくなってくれない。
レッスン料はただだが、波を取るということは、隣のサーファーと競争だったり、譲り合いだったりする。
良い波は、サーファーにとって宝物だ。
それを自分の技量に任せて取りまくるか、ちゃんと他の人にも譲るか。
そのせめぎ合いの制し方が、自分の心の平和と、その場の楽しさを決める。
そして時々、隙を見せた僕を、海は殺しにくる。
何のためらいもなく、海底にたたきつける。
それが砂であろうと、岩であろうと、カミソリのような珊瑚であろうと、海に躊躇いはない。
◇ 摩擦の話をしている
僕が「摩擦」と呼んでいるのは、諍いだけじゃない。
ライブハウスの予約も、バンドのメンバーとのやりとりも、波も風も、彼女も、友人も。それは悪じゃない。
だけど、そうした痛みを、すべて切り捨てられるネットのコミュニティというものがある。
SNSって、いったい何なんだろう、と最近よく思う。
張りぼての自尊心を抱き合う、硝子の揺りかご。
そこには海底がない。
感触のない汚泥に、ズブズブと沈んでゆく。
目の前の窓と、掌の上の窓。そっと二つを見比べる。
どこにも落とし込めないまま、3月の海を眺めていた。
そして、珊瑚の傷を知っている人間が、SNSでイイネを押している。
潮で洗われた皮膚に、異質なぬめりが広がる、3月の海がくれてゆく。